いきなり、労働について考える

職場で盛んに「スキルアップ」が言われるようになりました。つまり自分のキャリアをじっくり考えて、そのために何の実力を上げていかなければならないかを見つめよう、というわけです。なるほど、高いところから職場を見ると、その必要性はよく理解できます。
そういう方向に人々の目を向けさせるのが私の仕事のひとつなので、以下に書くことはかなり矛盾するのですが、私は仕事におけるキャリアという概念に疑問を持っています。なぜなら、それは結局のところ「働くために働く」ことであり、ひょっとして経営者に都合の良い論理ではないかと思うからです。
「働くために働く」ことが良いことだと思っていません。低い視点から見ると、今日働くのは明日おまんまを頂くためであり、明日働くのはあさってのためです。それが労働者の「本音」であり、一義的な労働のゴールだったはずです。そして企業にとってのゴールもまた利潤の追求であり、これはお互いに一致するように見えます。しかし企業がある程度の規模になると、企業は労働者の集まりではなくひとつの小回りのきかない存在となり、論理が一人歩きを初め、やがて企業としての数字を上げること自体がゴールになっていくのではないでしょうか。
そのとき労働者は歯車になり、それを認識してスキルアップに励んでくれないと、いつまで経っても仕事の効率が上がらないので、経営者にとっては都合が悪いのでしょう。
そこにはたぶん軋轢があります。そのストレスを受け入れることもまた仕事のひとつなのでしょう。
はっきり言って、私がやっている仕事の中でのこの部分は、難しすぎます。私はそんなに偉くないのです。