地上写真展を見て思う

さてその後は新宿にむかい、ゲストブックで紹介していただいた山下恒夫さんの写真展「もうひとつの島の時間」と、そのとなりでの松岡斉さんの写真展「豊穣記」を見てきました。いやはや、茨城県南にもあんな民俗があったとは。
私は水中写真についてはそれなりに見る目を養ってきたつもりですが、地上写真はどうも分かりません。富士フイルムフォトコンテスト見ても然り。私には一生、地上写真のセンスはつかないだろう。
それにしても、地上写真家さんたちのなんとモノクロ写真のお好きなこと。まぁいいけど。水中写真でもまれにモノクロ写真を見かけますが、地上ほど流行る気配はありません。というのも、そもそも水中に潜れば何も抽象化しなくても、すぐに青だけのモノクロの世界になるからで、どうやって(自然光以外に)色を再現するかに工夫するのが普通だから。アプローチが逆なんですね。
むしろこの辺が、水中写真一般がコテコテの芸術写真にならずに済んでいる一つの理由なのかもしれない、と思うのでありました。
ちなみにデジタル隆盛の昨今ですが、デジタルカメラではFoveonのような例外を除いて1画素1原色しか感知しないので、たぶんモノクロ写真には向いていない、というか不利だと思います。そういう理由もあるのでしょう。
フィルムが主流の頃の天体写真では、テクパンやTri-Xのようなモノクロフィルムも好んで使われていました。それには増感やら赤外線やらいろいろな要素がありますが、その中に「銀塩の粒と点としての星をできるだけ明確に区別しなくてはならない」という粒状性の特徴がありました。天体写真もデジタル化されている今ではどうなんでしょうねー?
先日ある方と話していた時に聞いた話なのですが、水中写真水中写真のコンテストに出品するよりも一般のフォトコンに出品する方が入賞しやすいのだといいます。本当かどうか分からないのですが、水中写真は地上写真を超越した存在なのか、それともまだまだ水中写真は撮る人も見る人もあまりにも少ないのか。たぶん後者だと思いますが、こう考えてくると、実は水中写真は地上写真よりも、見る人に訴えかけてくるものが分かりやすいのではないか、とも考えてしまいます…。