世の中過保護

近頃、妊婦さんマークの話題をよく目にします。マタニティマークともいうそうで、要するに妊婦さんが無言のうちに自己主張をするという、よく分からない目的のために作られているようです。しかし意匠自体の統一が図られていないこともあって、浸透度・認知度ともにイマイチのようです。
厚生労働省も「妊産婦が交通機関等を利用する際に身につけ、周囲が妊産婦への配慮を示しやすくするもの」といっているように、当然の事ながらこれは妊婦さんの自覚を促すものではなく、周囲への配慮を要求するものです。このあたりが、例えば自家用車の「初心者マーク」と一見似ているようで、実は微妙に異なる部分です。
最近気になるのは、この話題を目にするのはだいたい妊婦さんが「マークを付けていたのに誰も席を譲ってくれなかった」というガッカリ談みたいなものが記事になっている場合が多いです。私はそれって大いなる勘違いさんじゃないの、と思うわけです。
私も妊婦さんが優先の対象になったり、席を譲られることにつてはまったく異論はないのですが、それは別に妊婦さんが偉いからではなく、ちょっとのハンディキャップを負った人に譲ってあげてもいいんじゃないの、という配慮だと思います。あえて書かせて頂きますと、「優先されることを権利であるかのように考えるのは勘違いです。」
このマークを付けることによって、一部の人は暗黙のうちに自分が席を譲られることを期待しているのでしょうが、何も恥ずかしいことではないのだから、外見だけで分かってもらえないのならば座っている人にひとこと声をかけて譲ってもらえばよいだけのことです。それでも無視されれば困りますが、そういう記事を読むと、おそらくこういった人たちの大半は声にすら出したくないのでしょう。せっかくですが、それは「あまりにも自己中心的で、横着というものです。」
妊婦さんはたぶん常に女性だから、世の中の流れでつい過保護になってしまうという面はなきにしもあらずですが、それは別の問題です。譲り合いというのは、気づいてあげることももちろん大切ですが、譲られる側にも相応の配慮が必要なことは言うまでもありません。過保護のそしりを受けずにこういったマークの浸透を図るには、説明にも十分な工夫が欲しいところです。